ピンチはチャンス。

私の目から通して見える世界と日常

この気持ちをうまく表現する言葉

すごく、わくわくする事があった。

でも、この気持ちをもっと的確に表現する言葉が、他にもっとあるような気がする。

わくわくだと少し弱い。

興奮だとなんか無機質で、テンション上がるだと簡素すぎる。

見当たらなくて、じれったい。

 

自分の気持ちや考えを、いつでもスラスラ的確に伝えることができたら、どんなに素敵だろうと思う。

不思議な夢

熱にうなされながら不思議な夢を見た。

10月24日の黄昏時。

忘れないうちに書き留めておこう。

 

私は夢の中でも熱にうなされながらベットで寝ていた。

状況が似ていたのと熱にうなされていたのとが相まって、目が覚めるまでそれが夢だとは気付かなかった。冷静になれば突っ込みどころ満載な夢にも関わらず。。

 

携帯が鳴ったので、携帯を取りにベットから出ると、携帯電話は熱を持って真ん中からぐにゃっと曲がっていた。そして、それは白くて細長くて、今私が持っているのとは違った形をしていた。私は慌てて元に戻そうと折れている方向と反対方向に曲げてみる。すると、パキッと携帯電話が半分に折れて煙がしゅーっと上がっている。

半分パニックになった私は、換気扇を回すべきかとか、水に浸けるべきかとか、この煙は有害かとか、この後爆発しないかとかと慌てふためいていた。

 

その後、喉が渇いた私はみかんを食べる。みかんの皮を捨てようとすると、あるはずのない場所に3つ目のごみ箱があることに気が付く。そして、そのごみ箱の奥に見知らぬスペースがあり、部屋の作りや大きさに少し違和感を覚える。でも、そのごみ箱の中身を見て、「あぁ、私ここにもごみ箱設置したんだった」と思い直し、まだ夢だとは気づかない。

 

すると、急にラブラドールレトリバーが部屋の中にいて、トイレじゃないところで尿を足している。ちなみに一人暮らしの家で犬は飼っていない。

しかし、実家で飼っていて3年前に死んだラブラドールレトリバーと混同した私は、「ブルー!こんな所でおしっこしちゃダメー!」とナチュラルに注意をする。しかし、その後、私は一人暮らしを始めてから約1年、私は全く犬の世話をした記憶がなく、餌もあげてないのに、なんで生きているのと大混乱。おしっこの注意なんかより、なにか食べ物を与えなきゃ死んじゃうと顔面蒼白。

そうして、なにか食べ物をあげようとキッチンを漁っていると、私のご飯の残り物がなくなっていて、こういう残り物を食べて生き延びていたのねと少し安心する。すると、その犬が4歳くらいのやせ細った男の子に変化していた。それでも私は動揺することなく、その男の子がブルーだと思って接している。その男の子もその犬も目や雰囲気がブルーそのもので、私は夢の中で何の疑いもなくブルーだと思っていた。そして、男の子に「この残り物食べた?」と聞くと、勝手に食べて怒られると思った男の子は「食べてない、食べてない」と首を振りながら後ずさりして、最後に「ごめんなさい」と言った。私はその男の子を抱きしめながら、「食べてよかったんだよ。ちゃんと世話をしなくて、ごめんね」と泣いた。

そこで目が覚めた。

 

そして、目が覚めた瞬間に、ブルーの魂は、次は私の息子の魂となって戻ってくるんだと思った。私は輪廻転生とか前世の存在を信じている人で、最近そういう本を読んでいた影響もあると思うけど、そのことは自分の中にすーっと入ってきた。

自分にとって近しい魂は自分の近くに転生して、何世紀に亘って関わりあっていくらしい。ブルーは私と父の関係が最悪なときに死んだ。そして、ブルーの死で私たちの関係は良い方向に動き出したと思う。

自分に男の子が生まれたら、碧(あお)と名付けよう思った。

季節の変わり目に思うこと

変化とは、徐々に、だんだんと訪れるものだと思う。

 

一気に落とした体重は、ダイエットを辞めた途端、たちまち元に戻ってしまうし、

一夜漬けした勉強は、テストが終わった瞬間に跡形もなく自分の中から抜け落ちる。

 

本当に変わるということは、少しずつ微妙な配分で変わっていくことで、だけど、気付いた時にはすっかり変わっている、まるで四季のようなものだ。

 

そして、季節の変わり目とは、このように虚ろなものであって、真夏や真冬のようにその言葉を聞いただけでは、その味わいや感覚を思い出すことが難しいように思う。

 

そんな貴重な季節の変わり目が、今ちょうど東京近辺に訪れている。

 

かけ布団の微妙な温もりや、暖かい日陽射しとシャキッとした風の混合具合に嬉しくなる。

 

まだ冬じゃないけど、もう夏ではない。

秋と言われる、この季節が1番好き。

短くて終わってしまうと、この感覚を思い出すのが難しい。

 

だから、今の季節を、この空気を目一杯味わいたいと思う。

この空気感が好きすぎて、昨日は神谷町から恵比寿まで歩いて帰った。

 

気持ちよかった☺︎

不思議な男2

2013年6月30日。

私は不思議な男に出逢った。

本日の主題はこの男でないので、どう不思議かは割愛させていただくが、1つだけ言えるのは”良い意味で”不思議だったということである。

そう、私が不思議という言葉を使うとき、たいていは良い意味だ。

 

未知。今までにない感覚。今まで気付かなかった自分の一面に光を当てるような出来事、もしくは人に出逢うこと。

私にとっての不思議体験とは、そういうことを指す。

 

 

 

私の母は、ある一部分に関しては少女のまま成長が止まってしまったような人だ。

淡いピンクやお花のような女の子っぽいっものが大好きで、小さい頃からピアノとバイオリンを習っていた。

ディズニーランドの年間パスポートを持っていて、家族でご飯を食べにいくと、真っ先に料理の写真を撮りたがる。

 

そんな母は女の子が生まれて、本当に嬉しかったと言う。

物心ついた時から、母は私の髪を長く伸ばし続け、毎日三つ編みしたりなんやかんやとヘアスタイリングをしてくれた。

小さい頃は女の子らしい可愛い服をたくさん着せてもらったし、よく一緒にシルバニアファミリーやリカちゃん人形で遊んでくれた。

 

 

 

私はピンクこそ好きだけど、母ほどの女の子らしさは持ち合わせていないと思っていた。女の子らしいものはダサいって思う時期もあった。

私が小学生の頃はSPEEDがアイドルで、渋谷はルーズソックスを履いたガングロギャルが闊歩する時代で、かっこいいが主流だった。

AKBみたいな女子は、”ぶりっこ”と揶揄される。

 

そんな時代に適合するかのように、私は母の好きな女の子らしさから離れていったし、それは私と母との違いであり、離れた自分が本来の自分だと思っていた。

 

 

 

 

不思議な男2は、本来の私は母に限りなく近いことを教えてくれた。

8歳で辞めてしまったピアノ、つまんないと思ってたクラシック音楽

 

不思議な男2と十数年ぶりかにピアノを弾いたとき、自分がゼロの状態にいて、私の根っこが限りなく母に近いことを感じた。 

虫歯 vs 歯周病

どうやら、私の口の中には虫歯菌がいないようだ。

大したケアもしていないのに、生まれてこの方30年、一度も虫歯になったことがないので、なんとなくそんな気はしていた。

歯並びもいい方で、中学3年生のときには松戸市の歯のコンクールで優勝し、県大会に出場した経験もあり!

 

そんな歯医者とは縁遠い私だが、今年30歳の住民を対象に、区が無料で歯の定期検診 を提供してくれるということで、先日歯医者に行ってきた。

 

すると、歯医者さんは虫歯菌がいない私の口内に驚き、とても興味を示しつつも、通常、口内では虫歯菌と歯周病菌が権力争いをして、お互いを弱め合っているが、私の場合は歯周病菌が独り勝ちをしている状態だと危惧していた。

私は人一倍、歯石ケアをしないと歯周病になる可能性大だそうだ。

また、歯周病は発覚した時は手遅れ状態で、歯が抜け落ちるのを免れないらしい。。。恐っっ

 

歯医者さんの勧めで、歯茎の奥にある歯石をレーザーを使って除去することにした。

ということで、今日は歯医者に行ってくる。

歯が抜け落ちる前に気づけてよかった。

 

それにしても、虫歯菌 vs 歯周病菌っていう構図が自分の中で、すごくツボだった。

健全な環境を保つためには、口の中でも対抗勢力は必要なんだね。

善と悪。すべてはバランス。フォースの力!

オーム シャンティ シャンティ シャンティ

昨日はとても素敵なヨガの先生に出会った。

最近、通い始めたジムの代講講師の方で、無駄な贅肉の一切ない強くてしなやかな体。でもその体とは対照的な柔らかな笑顔とオーラの持ち主だった。

彼女の心はいつも調和がとれているように感じられた。外部からの影響を受けて波打つこともなく、自分を大きく見せようと肩肘をはることもなく、いつも在るべき場所にいて、平和な状態が保たれているように感じられた。

 

彼女のヨガのレッスンを受けたあと、私の体はゼロの状態に戻った。

この心地よい体の状態を保てるように、添加物や加工食品、小麦や砂糖、動物性食品など、体が不快になるものはなるべく取り入れないようにしようと思った。

そして、取り入れてしまったものや老廃物は流れをよくして、溜め込まないようにしようと思った。

 

明日は久しぶりにパタンジャリのヨガ・スートラを読もう。

また、ヨガ熱が高まった。

 

オーム シャンティ シャンティ シャンティ

スピリチュアル ハワイ

急に時間ができたので、7/28~8/4まで一人でハワイに行ってきた。

 

「一人でハワイなんて、一人焼肉以上だね!」なんて声もあったけど、

自由に動き回れて、地元の人とも交流できる一人旅が大好きなので、一人焼肉のが全然過酷だろうと思った。

 

蓋を開けてみると、この一週間は「ハワイ」とか「旅行」って言葉が似つかないようような、何かもっと別の意味を持った旅だった。

 

Airbnbというインターネットのサイトを使って、カハラモールの近くの家の一部屋を借りた。タマラという名のそのホストは、ヨガのインストラクターをしている50代の女性で、エクササイズだけでなくヨガのメンタリティーも私に教えてくれた。

私は、毎朝タマラと一緒にヨガをして、その後チェスが作ったグリーンスムージーを飲んだ。私はタマラと話す事で、今まで自分で気づかなかった胸のしこりや痛みに気付いた。タマラは、それを海に返す方法を教えてくれた。

 

日本で私は、休日でも前もって予定を詰め込み過ぎるので、その時の気分で行動するって事にめっぽう弱かった。プランがないと、どう動いて良いのかわからなかった。

 

そんな自分を変えたくて、今回の旅はあえて全てをノープランにした。飛行機のチケットと宿泊先以外は何も決めずに、ハワイへ来た。

 

近くのカハラホテルで、宿泊客を装いプルメリア ビーチハウスでブランチをし、ホテル専用ラグーンでイルカを見た。ロビーでは読書したり小説の執筆をしたりした。

 

ホールフーズでナンパされた人と夜のダイアモンドヘッドで星を見た。

 

ネイティブアメリカンの伝統楽器が奏でるメディテーション音楽というものを聴いた。

 

ヒルトンホテルの花火をワイキキビーチで見た。その後、帰りのバスの乗り換えを間違えて、雨降る夜に心許ない思いをした。(半泣きした)

 

ダイアモンドヘッドからワイキキビーチまで歩いた。その途中に、たくさんのお気に入りを見つけた。

 

私は、今回の旅で予定を詰め込み過ぎず、隙間を作る事によって、自分では想像もできなかったような出来事に巡り合う事ができた。

それは、大きなワクワクの裏に少し不安が見え隠れするようなもので、それでも、エイッと勢いをつけて踏み込むと、そこには自分の長年の疑問や悩みをスルンと、いとも簡単に解決するような力があった。

 

日本から持ってきた、よしもとばななの「ゆめみるハワイ」を読んで泣き、嫌いだったはずの海と山が大好きになった。

 

「楽しい、嬉しい、大好き!」というよりは、「解決、すっきり」みたいな旅だった。

ハワイから帰ってきたら、肌が綺麗になったねと言われた。

ずっと、求めていた答えを1つ見つけたような気がした。